2005年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年03月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | コメント(-) | トラックバック(-) | TOP↑

≫ EDIT

変容のスパモ

ふじテレビ日枝会長の盟友である日テレの会長までが堀江貴文を支持か!という報道でしたけど、「いま日枝くんとホリエモンが争っていて…」という、まったくのホリエモン呼ばわりじゃないですか。

ムバブル・タイプの所有者とSPAMの戦いを書いた記事が沢山あり興味深く読んでいました。3時間で400件のSPAMが投稿された例もあるそうですよ。こうしたSPAMは殆ど英文らしいのです。そこで1バイト言語のみで書いた投稿をブロックするという対抗策が出てくる。インタネットの汎世界的イメージを考えると荒技の雰囲気がありますが、自分のサイトは日本語使用者限定であると判断できれば是非使いたい手段ですね。すると一文字だけ、漢字を入れた新型SPAMが現れたと云います。

さらに日本語投稿の絞り込みを強化する方向で、連続したひらがなが入っていない投稿を阻止する方策が出てくる。すると適当な日本語文を作り出してこれをくぐり抜けるSPAMが出現。そして絨毯爆撃。いったいこれは広告の話なのか。SPAMとは何なのか。それは放たれた言葉であり道そのものでもあります。いなごの姿をした、破壊のための道具なのであります。スパーモ。スパモーニ。スパミッシモ。

スポンサーサイト

| インターネッツ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

飼育願望

H2Aは打ち上げ成功ですか。いやー良かった良かった。しかしそれとは関係なく。

そも、私はモバイルも持っていませんし、携帯電話だって生まれてこの方持ったことがない(本当)。新聞も取ってない。雑誌も読んでない。ウェッブサイトはあるけれど更新が遅い。情報に対してあんまりやる気がないと云えるかもしれない。ならばブログを持たないこともこれ当然の帰結なのだ。

ということを去年の八月頃書いておりますが、近ごろそのムバブル・タイプという奴を飼ってみたいような気分になってまいりました。ここのサーバには飼育スペースが無いので、ならば借りてでもと思うことさえあります。だが本当のところ無償で貸し出してくれるところが沢山あってわざわざ飼わなくても良いはずなのだ。世話も、大変だ。大量のスパモがついたりするらしい。ダニである。

理由はというと別段アフィリエイトがしたいわけでもないし、情報を発信できないような気もするのでして、これはよくある煩悩の迷いなのかもしれないんですけど。

| インターネッツ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

エクストリームキャンバス

こうして人様の丹精したものにリンクだけ貼る日々、つくづく情けないとは思いつつ、昨日の「Extreme Islam propaganda art」のサイトにもう一つ凄いものが紹介されているのですよ。「Extreme canvas」という書物でエクストリームつながりでございます。どういうのかと申しますとアフリカはガーナに、ビデオとテレビモニターを持って回っていく移動映画があるんです。その宣伝用に描かれた手描きの映画ポスターを集めてある本と、いうことらしうあります。

映画は「クジョー」「スリープウォーカー」といったアメリカなどの普通の映画をやっているようです。しかしそのポスターは全く普通でない。まさにエクストリームキャンバス。本編を見て描いているのかどうなのか、奔放な解釈と自由な想像力によって、驚天動地の絵画世界が誕生しているのです。私はサンプル画像を見てものすごく笑ってしまったんですけど、昨日も記したように笑うというのは時に、理解を超えた物事に遭遇して仕方なく出てくる反応という気もするんですよ。

映画そのものを遙かにしのぐ大傑作の数々。こんな熱い絵がいつか描けるよう、私も精進したいと思うのです。感動した。

ここらでもガーナのポスターが見られます。
よそさまのブログ

| いろいろ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

プロパガンダとアート

ahoroku20050222.jpg

私はプロパガンダ・アートの類に興味を惹かれます。一定方向を指した政治的メッセージや政治的啓蒙が描かれた音楽や絵画彫刻のたぐいであります。特に絵画が好きです。理想と希望また憎悪と怒りが力一杯劇的にかつ平易に現された画面が、視覚的に直裁に見るものの情緒を強く揺さぶります。時に超現実的にさえなるそれらの熱いメッセージに応えるためには、痙攣的な笑いをもってするしかないことすらあります。

笑ってしまうのは共感しないと云うことなんでしょう。そんな劇的な政治絵画は私の暮らす場所には無い。そういう絵を描くべき出来事が起きていない。そして、劇的な政治絵画の発生する土地の事情がわからない。しかしこのような不理解と断絶がよい方向に働くこともあります。それらは政治のための絵画なのですが私から見れば第一に絵、第二にも絵です。レイアウト、色使い、技術、表現方法に感銘を受け、単純に絵画として好ましく思うことが可能なのではあります。


Osama Bin Laden Posters
http://www.columbia.edu/cu/lweb/services/preservation/stuff/osama/index.html
オサーマのコラージュ&似顔絵によるポスター類。手書き、切り張り、デジタル処理してあるものなどいろいろ。飛び交う戦闘機に爆発、兵士にモスク。詰め込みすぎの整合感無き絵ヅラが非常にパワフル。

アイルランドの壁画
http://peacelinetours.g2gm.com/murals.html
http://irelandsown.net/murals.htm
全く笑えないアイルランドの壁画類。住宅に描いてあるようです。こういうアーチストもいるんですね。

| いろいろ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

アフガン&イラク国歌

インタネットを覗いて、アフガニスタンとイラクの現行国歌をみつけましたので「電波国歌」に追加いたしました。どちらも暫定的なもののようで、近いうちに改めて新国歌に座を譲るのではないかと思われます。

イラクでは2004年からMawtini(=My homeland、我が祖国)という曲が国歌になっているようです。イラク国歌として作られたものではなく、アラブ圏で以前から広く知られる歌とのこと。昨年9月末に文化大臣が国旗・国歌の公募を発表したということなので、おそらくは応募作品から選んで、先日の選挙で議席が出そろった国民議会にはかり、改めて新しい国歌を制定ということになるんではないでしょうか。

一方アフガンでは国民議会のかわりにロヤ・ジルガという伝統的な会議によって物事を決するのでありますが、2004年の同会議では新しい国歌の枠組みが決定しました。まず詞はパシュトゥ語とし、その中にアフガンの主なエスニック・グループの名称を含めること、「神は偉大なり」の言葉を入れること、というのがそれです。歌詞を何語にするかで大いにもめたという話。曲の方はアフガン人の作曲家たちによって共作される予定だそうです。この新しい国歌が出来るまでは、ムジャヒディンの愛唱歌として知られるダリ語の古い曲が国歌の役割を担います。

--------------------
現在のイラク国歌:
http://www.damascus-online.com/national_songs/national_songs.htm
シリアのオンライン新聞で、愛国的な歌を集めた頁です。Mawtiniは上から三番目にあります。歌詞はアラビア語フォントがないと見られないみたい。シリアの歌もいろいろ聴け、一番下にある空軍の歌がまさにアラビアン軍歌でシブい。イラクと関係ないですけど…。

現在のアフガン国歌:
http://www.geocities.com/afghanistanambassade/Volks-M.mp3
在オランダアフガニスタン総領事館のHPに載っているファイルです。

参照記事:
http://www.alsabaah.com/20040926/english.htm
アラブのオンライン新聞のサイトらしいです。イラクの文化大臣が国旗・国歌の公募を発表したという記事があります。2004年9月26日付。
http://www.iwpr.net/index.pl?archive/arr/arr_200501_157_3_eng.txt
Institute for War and Peace Reportingという、紛争地帯にジャーナリストを育てる活動をしている団体のニュースサイト。カブールの記者が国歌の作成状況を書いており、予定される歌詞も載っています。2005年1月14日付。
--------------------

| いろいろ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

訃報

二ヶ月半が経ち、災害の現場からぽつりと訃報が届いて参ります。

我々はどこから来てどこへ行くのか?などと、ゴーギャンの絵の題名みたいなことは未だ考えも及ばず、ただ、なぜ人間は死んでしまうのかと思いあぐねて精一杯です。かつて幼かった頃、親戚などのお葬式に出て悲しいと感じたことはありませんでした。死が遠かったのだと思います。いま、もう少し死というものが生々しくなったかもしれない。そしてそれは恐らく悲しい。悲しいと云うより痛く寂しいもののように感ずるのです。死は不可逆的で復旧のきかない完全な分断のように思えます。

人々が分断に際して痛み苦しむのは、残されるのが常に生者で、そこに生き生きと働く感性があるからでしょう。痛みも悲しみも、喜びも憎しみも、みな生者だけのものであります。それは素晴らしく、かつ寂しいことなのです。

| いろいろ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

北朝鮮がやって来た

蹴球ワールドカップのアジア最終予選が開始され、ゆうべ日本はホームに北朝鮮を迎えました。一戦目の緊張感や勝利への期待といった物事も北朝鮮という高下駄を履かされ、場内には異様な高揚感。私も落ち着いて見ていられない気分であります。この変な緊張感と強烈な感情の変動は、複雑な事情を共にする相手である韓国、中国との試合でも味わったことのないものです。

日本は韓国や中国と必ずしも仲良しではなく、北とはより本格的に悪い関係であります。競技の上でも対戦とあらば、負けたくない気持ちが一層増大するんでしょう。競技を見る上で国民同士が対立し互いに憎悪を現しても程度をわきまえておれば問題ないと思うんですけど、そこはやはり競技なので楽しく明朗な興奮というものも多く感ぜられます。

終了間際になってやっと日本に追加点が入って私の心地も良くなり、終わってみれば北の選手団に特別の感情もなく、悔し涙にくれる姿を見て別段勝ち誇った気分でもありません。勝ち点3が取れて良かったなあというだけです。けれどもし、負けはせずとも引き分けになっていたら、勝ち点が減った以上のほぞを噛む思いがあったのでしょう。

| 蹴球 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

ユシチェンコのいなか

ユシチェンコ故郷に帰るという短いレポートを見ました。デエオキシン(江戸っ子)が出た男であります。ウクライナの田舎にはやたらと可愛い木の家が並んでおります。実家前では御母堂が模様入りの大きなパンを赤い布でくるんで出迎え。二人で十字のしるしをいたします。伝統儀式のようです。教会も柱と云わず壁と云わず鮮やかに塗り分けられ、こってりしつつもこぢんまりとどこか薄暗い佇まい。少し前に米国のメガ・チャーチをテレビで見ましたんで、あのコンベンション何とか的な巨大施設とはかなりの好対照であります。

ダメなお楽しみ。英語版のamazon.comをエキサイト翻訳経由でブラウズ。まさに電波サインイン。

| いろいろ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

2005年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年03月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。