フジモリのメモリー
古新聞が出てきたのでメモっておこう。1997年4月24日付・日刊スポーツ。こんな1面で始まります。
ほうきに隠しマイク「今だ」人質軍人が突入指令
- ペルー公邸 武力鎮圧支えた諜報活動
- ファイバースコープ 盗聴器 地雷探知機…ゲリラの動き完全に把握【リマ23日=南沢哲也、エリーザ大塚】ペルーの日本大使公邸人質事件は22日午後3時23分(日本時間23日午前5時23分)、公邸内にペルー軍が強行突入し、人質72人のうち71人を救出した。一人は死亡。立てこもるトゥパク・アマル革命運動(MRTA)メンバー14人全員が死亡した。電光石火の制圧劇「チャビンデワンタル作戦」完了までわずか37分。公邸内から隠しマイクで突入ゴーサインが出されるなど、徹底したハイテク情報収集に基づく成功だった。【関連記事2、3、26〜29面】
ゲリラによる在リマ・日本大使公邸占拠を武力突入で解決。どえらい話でした。フジモリ政権中の出来事として、一番よく知られているのがこの事件ではないでしょうか。新聞は7面を割いての大特集で、犯人グループのエピソードや人質の談話、日本政府に事前連絡がなかったことなどページごとにいろいろ書いてます。その中で第29面はフジモリ大統領(当時)に関する記事。ざっとこんな内容であります。
奇跡のフジモリ大統領
- 人質生存率25%の中 テロに勝ち「世界に模範」
3日前までに武力突入を決断、人質救出作戦で文字通りの陣頭指揮に立ったフジモリ大統領(58)は、「ペルーはテロに屈しない」と涙の勝利宣言を行った。特殊部隊の突入直後に防弾チョッキ姿で公邸に駆けつけ、人質をバスまで引率する派手な活躍。支持率急落の折、強烈な指導力を見せつける結果となり、現地の外交関係者も「生来備わった政治的センスとしか言いようがない」と舌を巻いた。
強烈な指導力
救出した人質を引率して病院まで送り届けたフジモリ大統領は、ワイシャツに防弾チョッキという姿のまま現場にとんぼ返り。拡声器のハンドマイクを握って即席の記者会見を行い、「ほかに手段はなかった。作戦は私が決断した」。(略)最高裁判事と二人のコマンドの死に触れると、「国家を代表し、心からの弔意を表したい」と鼻水をすすって泣いた。(略)支持率復調へ
(略)国際的に、武力突入の場合の人質の死亡率が「75%」といわれる中、犠牲者の少ない奇跡的な救出劇は、内外に強い大統領をアピール、政治的影響力を強める結果になった。フジモリ大統領は、昨年1月には75%だった支持率が、失業や経済低迷で事件発生直前の昨年12月上旬には45%に急落。最近の調査でも47%にとどまっていた。(略)緊急連載 ペルー武力解決
「動くか止まるか」の時 迷わず動くフジモリ大統領
この政治家が重大な局面で登場するとき、舞台は必ず戸外で、しかも群衆に囲まれている。それは、7年前の大統領選初出馬の強烈な体験からくる行動だった。(略)
こうして本来は机上で議論を戦わしてきた学者は、大衆の力、大衆の支持の強さを、皮膚感覚で理解し信望する政治家となった。その手法は、あくまで行動第一である。「動くか、止まるか」「妥協か、前進か」。そんな二者択一のときは迷わず断固として、動く。それが、何より、人心を掌握することを、徒手空拳の大統領は骨身に染みて理解している。
今回、チリ入りした件については作戦があってのことだという人もいる。「生来備わった政治的センス」が再び爆発する日は来るんだろうか。
しかし新聞読むといろんなことがまとめてわかるもんですね。インタネットの短文ニュースに頼ってばかりじゃいかんな。…と思っていたら網上こんなフジモリニュースが。
出国時に「嫌な予感」=チリ紙インタビューに応える- フジモリ氏恋人
フジモリは今67歳なんですけど、日本に39歳の女性実業家の恋人が居たのだ。女性は4年ほど前からフジモリと交際。6日に出国した際、嫌な予感がしていたという。本人からは拘束後に電話があり「すべてうまくいくから心配するな」と伝えてきた。恋人はフジモリを「天才」と呼んで心酔した様子、「問題解決の答えは既に用意されており、もうしばらくすればペルーで一緒になれる」と希望を語っているんだそうですよ。
67になって、30歳近く若い彼女が。やはりラティーノ。熱いぜセニョール!
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