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無知の涙

「知識」とは体系化された情報のグループを言うような気がします。私は時おり自分に知識が無いと逃げ口上のように申しますが、私の脳内データは数が少ないのはもちろんのこと、1つ1つがバラけていて、点在はすれども面を成すことが無いゆえであります。

それすなはち、知識が無いというだけにあらず、情報の収集・検討・整理が下手なのだということでありましょう。そうした鍛錬を怠ってきたようなのです。嗚呼いまさら無理。しかもこれはものすごいビハインドなのですよ。

なぜなら、極私的な考えごとなら何とかなっても、社会的事象の考察ともなるとオーバーフロー必至なのであります。社会的な問題は構造が複雑で、中核を成す要素だけでも一つとは限りません。そこにぶら下がっている二次的、三次的な要素同士がまた関係し合っていたりして、立体的な作りになっています。問題全体ですら社会構造の一部なんだから、情報の参照はその範囲だけにとどめておけば良いというもんでもないでしょう。

そうした全てを完全に抑えなくとも良いのでありますが、あっちこっちバラバラに目をやりすぎて混乱したり、そこからここへ飛ぶ報道や人の意見を追っているうち迷子にならないためにも、情報を整理する能力は重要なのです。自分がどこを目指していて、いまどの流れにいるのか、地図を書いて読む力がなければたちまちのたれ死にであります。

しかしよくできたもので、どんな社会現象にもわかりやすい要素が常に含まれております。誰でも入って遊べる安全な支流です。知識の代わりに情動駆動で、見解がなくても感想を述べれば良く、考察できなくても反応すれば良いのです。これでも充分参加した気分になれますが、本流での推移を知らぬまま、目の前の些細な現象ばかりが大きく見えるという結果にもつながりがちです。ゆえに川を上がれば常に言うのであります、あれは何だったのかと。

ぬるい淀みにつかり、死んだ魚を拾って食べては雄叫びをあげる。それが私のしていることと思えば情けなさも極まりなく。一体何のため人に生まれてきたのかと、くの字に曲がってほぞを噛む次第でございます。私のような大人になるな。心だけじゃ何も見えてこない。感じるだけじゃ何も知ることはできない。

| いろいろ | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

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