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Badな天文学

Bad Astronomyというサイトに行って、今月アップされたばかりの「占星術」という記事を読んできました。

このサイトは天文学の研究者が作っていて、世に見られるBadな天文学的描写に注文をつけた記事がいろいろ置いてあります。べつに糾弾の場所ということではなく、長い英文を苦労して(私は苦労します)読む価値のある楽しいサイトです。まだ他は一つ二つの記事ぐらいしか読んでいないんですが。

占星術とはBadな天文学なのか。
私も星占いを見たりします。気が弱っている時など、普遍的なアドバイスを誰かの口から言ってほしいような場合です。占いでなくても構わないはずですが、このように神秘的な要素を通じてそれが出てくると心理面に多少の効果があるという訳なのです。占いが当たるかどうかは気にしませんし、そのセオリーが実際に基づくかどうか、ましてや天文学の範疇かなど考えたこともありませんでしたよ。

しかし、なるほど占星術には天体が地球上の人間に影響するというセオリーがございます。それが事実ならそこに何らかの力(force)が働いていて然るべきだし、それを測定することも出来うる。筆者はそう言うのであります。おお、なるほどね。

実在するそうした「力」は通常距離と共に弱まってしまうものだが、占星術に於いては遠くの天体が近くの天体と同じように作用する。ならば距離に関係なく働く力があるのか。だとしたら小惑星や太陽系外のあまたの恒星・惑星も我々に影響するはずなのに、それらの星は占星術上無視されている。 また天文学者は恒星に現れる影響を観測することで、それを回る惑星の存在を知り得る。人間に影響する天体の力を観測することで、占星術になぜ同じことが出来ないのか。

筆者はこのように、占星術のいう天体からの影響力は存在し得ないこと、占星術のデータは実在の現象に基づかないと言えることなど挙げてまいります。それはBadな天文学だったのです。さらに、占いが当たったと思い込んでしまう心理の働きなど天文学以外の方向から見解を加えて「結論:占星術は間違い」を繰り返し言うのでありました。

繰り返し言うのにはわけがあり、筆者は占星術が有害だと判断しているのです。占星術は有効でないにも関わらずお金を浪費させる。人々の理性的に考える力を弱めている。宇宙の本当の壮麗さをかすませ、安っぽくしている。そうお怒りなのであります。

なるほど。
この記事にはある謎の物事を判断したい時、どう考察を立て、どんなデータを参照すべきか、シンプルで美しい例が示されていると思います。占星術に対する批判がありますが、それは占星術愛好者への不当な弾圧でも悪口でも攻撃でもありません。証明されうる事実が示されたのみであります。それを読んだだけという立場の私は占星術愛好者に対してとくに言うべき事を持ちません。

それにしても21世紀に於いて、未だにオカルトは身近な物であります。部分的に科学よりも身近だったりしそうです。科学者とその研究内容は一般社会から少し離れた神秘の幕屋にあって、修行して階位を得た者だけが奥義に近づける。町民は無知蒙昧と蔑まれ、追い払われる。埒もなくそんなことを想像するときもあります。まあそれは、理系に弱い私の明白なひがみなのです。実際の所は、今やいろんなサイトで奥義を(口語で)明かしてくれるラビがいるわけですから、読まない手はないということなのです。

| いろいろ | 17:17 | comments(9) | trackbacks(0) | TOP↑

COMMENT

長文ですいませんが
 酒の席で血液型を話題に盛り上がるのは日本だけらしいです。血液型人間学とやらの発祥は能見正比古(字、合ってるかな?)というひとがその系統の本を五島のノストラダムス(これも日本特有のブーム)みたく次から次へと出版し、それをマスコミが繰り返しとりあげて日本において一大ブームを巻き起こした。
 まったく実際の宇宙、自然を反映していない、あるいは反してさえいるようなものでも、世の中に受け入れられやすい要素をもった説が、時の権威や錬金術、宗教、近代ではマスコミやらネットやらの後押しを受けて、信ずる方が大多数派という社会をつくりあげるのはむしろ普通のことであるようです。
 たまに度が過ぎて世に害毒を垂れ流すものに関しては、これは分かる人間が指摘する責任をもつだろうと思いますけれど、信じる、あるいは信じてしまう人間がいること自体を大して悪いこととは思いません。自分からすると怠惰であると思いはしますけれど。
 血液型が日本特有のものなら、欧米で根強いのは占星術で、たしかカール・セーガンの本でしたか、ある社交の席で「あなたは占星術(という科学)を信じないのですか!」と言われ、その場の人間がほとんど占星術を信じており、科学的とまで言うことに苦笑いをしたくだりがありました。
 自分としてはここにふたつ気になることがあります。ひとつには占星術を信じる根拠を彼らはどう説明するのか、ふたつめにはそれを信じることは科学とは本来関係なく、またそうである必要すらないのになぜ科学的という言葉を占星術に当てはめたがるのかということです。
 ふたつめについて先に言及しますと、「『心理テスト」はウソでした。』という、たしか村上さんというかたがお書きになった本が、日本の血液型心理学をとっかかりに、多くの有名な心理学テストが当たっていると思わせるように設計されていることを説明してくれます。つまり、科学の一分野として認められているように思われているもの、科学的に見えるものに、そうでないものはたくさんあるということです。ましてや血液型「心理学」とか占星「天文学」など、無理矢理サイエンスののれんをかけているようなものには無理があります。これは、科学と衝突することを避けたい、あるいは科学の威力を借りて武装したいというだけで、それらの中身にのれんとして使われた用語はまったく関係がない。血液型占い、占星術、と言っておればいいことです。
 そして、そうしている以上、すなわち現時点で科学とは関係がないけれど主張することがあるという範囲に納まっている以上、世の中の害になりさえしなければ自分としてはそれを肯定も否定もする必要がないと考えています。はるかな未来に、それらの(ほんのごく)一部が、科学的になりうるかもしれないですし。
 そして先のひとつめの気がかりについてですけれど、ひとに迷惑をかけなきゃなんでもありの自分としては、信じたいことを信じるのはかまわないと思うのです。そしてこの点に関しては、科学は他の分野に比較して有利な点がありまして、結論に至る過程のひとつひとつを信じないことから始め、懐疑的に対象に取り組んだ結果、なんとか生き残ったものが科学的な内容として発表されるに耐える。すなわち、たいして主張したいことであるかどうかはともかく、万人が信じても比較的安全である、ミスは少ないと言うことです。
 ですから、科学は出発点に本来、否定しがたい結論はもってくるけれど主張はもっていない。自然、宇宙、世界の仕組みはこうなんですよと言っているだけで、こうあるべき、こうあってほしいというのはもともとない分野なのです。
 善意のひと、一種の理想家にはこれが耐えられないもの、あるいは味気ないものに感じられるのでないかと思います。
 そして、たとえば的中率のすごい占星術者がいたとして、ではそこに科学的な側面がなければならないかと言えばその必要はまったくない、むしろ混同する輩は靴と手袋の区別もしていないと思うし、靴も手袋も使えるときに使えばいいじゃないか。その凄腕の占星術者が、占星術でなく他の占いを手がけていてもその当人は能力を発揮するかも知れず、世の中にはそういう能力がありうるかもしれないことを、Bad Astronomyの書き手も自分も、懐疑的であれ否定はいまのところしないのだと考えます。
 もちろん自分も水瓶座がラッキーであれば気分はいいです、しかし占星術には否定的。重要なことは、いろいろなことを混同しないで考える、ひとつひとつの段階を可能な範囲で確かめる、こういったことを心がけようと科学が言いだし、それは科学に馴染みのあるなしに関わらず、身につけて損はない、人間の心得、生活の知恵であるということです。そうしなければ怠慢である、場合によっては世の中に害をなすこともあるという、ただそれだけ。そこに科学的な用語を大上段に構える必要はないのです。

| GT | 2005/04/14 22:48 | URL | ≫ EDIT

つけたし
 美棒さんとこで書いたことですけれど、たとえば水の結晶そのものの美しさに感動を覚えることが、自然、宇宙、世界を探求する出発点であり、どうしてそれを美しく思えるのかはたいていの人間にとって説明をされる必要すらないことでしょう。これは先に述べた、出発点に主張をもたないということです。ですから、そこから水の結晶はこうあるべきといった、何らかの主張を導く必要もなく、それをしようとするのは自然界に対する一種の冒涜。
 Bad Astronomyで「占星術は有効でないにも関わらずお金を浪費させる。人々の理性的に考える力を弱めている。宇宙の本当の壮麗さをかすませ、安っぽくしている。」とありますけれど、その最後にはとくに頷くひとも多いと思います。つぎに「人々の理性的に考える力を弱めている」、自分も考えない人は怠惰なことだと思うし、けれど「有効でないにも関わらずお金を浪費させる。」・・・このあたりについては、数千年の歴史を見てもしかたないことだよね、徐々に進んで行くしかないのだと思います。
 科学・非科学観は自分と異なるけれど、筆者はコメントする順を心得た方だと思いました。

| GT | 2005/04/14 23:11 | URL | ≫ EDIT

またつけたし
 そして血液型占いも占星術も、そのはじまりが科学と称されてよい範囲にあったとは言えると思います。ただ、結果として科学足り得なかった、そんなことはよくあることです。

| GT | 2005/04/14 23:15 | URL | ≫ EDIT

考えて生きる
長文ありがとうございますです。
できれば!文中、適当なところに一行の空白を入れて文の切れ目を作っていただいたりすると、いっそう読みやすいかもです。

他の人が信じたいことを信じるのはかまわんですし、我々は科学じゃないと言う何かオルタナチブなものがあってもある程度はかまわんように私も思います。
一方で、私は学研の提供するオカルト・珍説・妄想史観を腹一杯いただいて大きくなったような人物であり、片や科学的な知識は乏しいという自覚があります。自分はオカルトの方にやや寄っているんじゃないかという気がするんですね。
そういうことで、完全に理解できるかは措くにしても、意識して科学的な要素を取り入れるのがバランス上好ましいんじゃないかと、科学読み物を読んだりするのです。

GTさんがお書きの
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結論に至る過程のひとつひとつを信じないことから始め、懐疑的に対象に取り組んだ結果、なんとか生き残ったものが科学的な内容として発表されるに耐える。すなわち、たいして主張したいことであるかどうかはともかく、万人が信じても比較的安全である、ミスは少ないと言うことです。
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いろいろなことを混同しないで考える、ひとつひとつの段階を可能な範囲で確かめる、こういったことを心がけようと科学が言いだし、それは科学に馴染みのあるなしに関わらず、身につけて損はない、人間の心得、生活の知恵であるということです。
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あたりを忘れないでおけばいいのかもしれんですね。

しかし浅学の哀しさ、結局好ましい方を取ってるだけかもしれません。例えばあるへき地(語弊)に望遠鏡も持っていない素朴な人たちがいて、でもその人たちは望遠鏡でしか見えないある恒星を昔から知っている。それは宇宙人が教えてくれたという。そんな話を聞いて「すわ、宇宙人実在の証明!」と考えるより、それは単にステキな話だ、とか又は、古代の交易路を伝って望遠鏡を持ち天文観測を行っている国からここにも人が来ていたのだろうか、と考える方が私にとってエキサイティングなのであります。古代の交易路もうっかりするとトンデモにつながりますから、検証の際には希望と主張と思想を捨てて、削り落として最後に残ったものがもっとも可能性を持っているということになるのでしょうか。それが宇宙人来訪でなくとも驚きと素晴らしさには変わりありません。

血液型…といえば、韓国で血液型占いが流行って問題になっていると本日のニュースにありましたね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050414-00000686-reu-ent
それによると、血液型占いの初出は1927年、古川竹二という人物の手になるものということです。能見さんはそれを復活させたんですね。

| ぺり公 | 2005/04/16 03:15 | URL | ≫ EDIT

私もつけたし
それと、私はすっごい妄想癖があるので。
あっという間にMy宇宙が森のように生い茂り、最後に「わかったー!!」と叫ぶ死滅パターンに入りがち。
よって、より堅実な手法によって確立された知識を常に補充しておく必要があります。死活問題です。
うう。

| ぺり公 | 2005/04/16 03:22 | URL | ≫ EDIT

ええと、いろいろとムズカシイことはアレなのですけど、

私、ぺり公さまのMy宇宙は好きです。

| おじぞー | 2005/04/16 15:56 | URL | ≫ EDIT

ビッグバン!
 じつは自分もすごい勢いで思考が広がってそれは理論的なもんでもなんでもなく、ひとは妄想と言います。ビッグバンかと思うくらい、自分でもたじろぐ勢いで広がるものがあります。だから基本的になんでもあり。
 ときどき、どう見てもむちゃくちゃな輩に「いや、オレはおまえさんほど妄想癖ないから」と言われ鼻白みます。
 そこに歯止めをかける現実的な努力が、ぺり公さんとおなじく必要でありまして、そしてこの自由な世界はひとさまに迷惑をかけないかぎり楽しくてしかたがないものでもあります。
 人間ひとりひとりがもつビッグバン、なんだかわくわくするんですよ。

| GT | 2005/04/17 01:16 | URL | ≫ EDIT

宇宙大膨張
恐れ入りますです。
では大いに宇宙を茂らせます~。>おじぞーさん

ビッグバンは言い得て妙ですね>GTさん
宇宙が大膨張。そこここでガスが集まりむやみな星が輝き始めます。千億の光と闇だ。誕生と終焉だ。超新星爆発だ。いつ果てるともしれない死に逝く星のガスの息吹が、耳を聾するパルサーの絶叫が消え、息吹と共に鼻孔から、青いモルフォ蝶の群れが出てまいりました。それはプシケの使いです。すべては夢魔の一撃なのです。

| ぺり公 | 2005/04/17 23:58 | URL | ≫ EDIT

宇宙の卵とモアフ蝶の蛹
 そういや少し前、千代田線で隣にすわっていた外人が席を立って表参道を降りるとき、片手にキャベツを握っていてファンキーなやつと思いました。それ、やっぱり食べるんですかーと尋ねたかったのだけど、そんなヒマも度胸もありゃしませんでした。
 それを知り合いの掲示板に書いたら、それはそのキャベツの中でなんかの幼虫を飼ってたりしてなどとシュールなことを先方が抜かすもんだから、キャベツの皮を丹念に剥いていくとキャベツにぎりぎり納まるサイズまでまるまる太り育った幼虫が現れ、そいつに彼ががぶりつく。びちびちとはねて暴れる芋虫、ずるずると吸い尽くす毛唐、おーいそんなん喰うくらいなら鯨を喰えよばーか、と忠告する優しい自分。
 宇宙の卵はなんのきっかけでモアフ蝶に羽化するか分かりません。いや羽化の前に喰われてますけど。

| GT | 2005/04/18 00:31 | URL | ≫ EDIT















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